大阪地方裁判所 昭和33年(ワ)459号 判決 1963年3月26日
堺市浜寺元町三丁目三一三番地 原告 曽我部幸雄
同所 原告 曽我部ゆり子
右両名訴訟代理人弁護士 東野村弥助
同 藤原光一
同 長沢泰一郎
京都市南区唐橋羅城門町一〇番地 被告 医療法人同仁会
右代表者理事 林良材
同市上京区出水通り回向院西入四〇一番地の三 被告 松井周延
右両名訴訟代理人弁護士 山根弘毅
同 黒田常助
同 日野国雄
右当事者間の昭和三三年(ワ)第四五九号損害賠償請求事件について当裁判所は次のとおり判決する。
主文
原告らの各請求を棄却する。
訴訟費用は原告らの連帯負担とする。
事実
第一、当事者双方の申立
一、原告ら
「被告らは各自原告曽我部幸雄に対し、金三、三二八、五七一円、原告曽我部ゆり子に対し、金二〇〇、〇〇〇円およびこれらに対する本件訴状送達の日の翌日から完済まで年五分の金員を支払へ。訴訟費用は被告らの連帯負担とする。」
との判決並びに仮執行の宣言
二、被告ら
「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」
第二、原告らの請求原因
一、原告曽我部幸雄(以下原告幸雄と略称する。)は、一級建築士の資格を有し、大京土木建築工業株式会社に勤務し、建築設計、工事管理などの職務を担当していたもの、原告曽我部ゆり子(以下原告ゆり子と略称する。)はその妻、被告医療法人同仁会(以下被告同仁会と略称する。)は、診療所の開設を目的とする医療法人であり、被告松井周延(以下被告松井と略称する。)は、医師で被告同仁会の経営する九条医院の内科医長として勤務していたものである。
二、昭和三二年六月二〇日原告は京都市南区唐橋河辺町所在京都市営鉄筋アパートの建築現場において、現場監督の職務に従事中同日午後一〇時二〇分頃コンクリートミキサーが故障して稼動を止めたのでその修理中、足許のバランスが崩れて身体の平均を失つた際、右手首をモーターのベルトに巻き込まれ、右手首骨折の負傷を受けた。
三、そこで原告幸雄は直ちに被告同仁会の経営する京都市南区唐橋羅城門町一〇番地所在九条病院に運ばれたところ、たまたま居合した被告松井が診察し、同人はその専門外の領域にもかかわらず、自ら軽卒にも切断手術の実施を決定し、同日午後一一時頃同人は原告幸雄の右手首を関節より切断する手術を実施した上、更に翌二一日原告幸雄は、被告松井の依頼をうけた訴外医師嘉ノ海武夫により同医院外科室において、更に右手首を約一寸切断され、その結果右手首を喪失した。
四、しかして、原告幸雄の前記受傷は未だ切断手術まで要する段階ではなく、その他の適宜の医療処置を施行することによつて完治させることが出来えたにもかかわらず、被告松井は、過失により右切断手術実施前、医師として執るべき適切な処置を講ぜず、且つ軽卒にも原告幸雄の症状を以つて、切断手術が適応であると誤つた判断を下した上、該手術を断行し、更にその上、その過失による切断手術の痕跡を隠蔽する目的をもつて、故意に傷害を加え、その結果原告幸雄は右手首を喪失したもので、これを要するに、原告幸雄の古手首喪失は、被告松井の不法行為に因るものである。
五、被告松井の右不法行為について以下詳述する。
(一) 過失行為
(1) 原告幸雄が診療を受けた際、被告松井としては、その症状がかなり重傷であること、自己が内科専門医であること、被告同仁会九条病院においては、従来当直医師の専門外の重患が来診した場合、非番にかかわらずその専門の医師に連絡してその指示を受けるという慣行が確立していたこと、加えて右九条病院は外科もある総合病院で、その外科医長訴外本郷弘之医師(以下訴外本郷医師と略称する。)が同病院構内の家屋に起居し、同人に連絡するのに、僅か数分しか要しない点を考慮し、なにはともあれ、先づ訴外本郷医師に連絡し、専門医である同人の指示を仰ぐべきであるにもかかわらず、これを怠つたのみか、かえつて同病院産婦人科訴外門野弘子医師や看護婦らが、訴外本郷医師を呼びに行こうとするのを制止し、自ら独断診療を実施したのである。
即ち他に専門医が不在である辺鄙な場所で、内科医が緊急を要する外科的治療を求められた場合、自らそれに当つたとしても、それは医療行為の緊急性の故に、違法性が阻却されることもありうるけれども本件の場合、そのような事情は全く存在しないのである。
(2) 原告幸雄を診察した際、医師としてその症状を充分仔細に観察検討すべき注意義務を尽して居れば、原告幸雄の負傷は、比較的軽微な右手首骨折並びに手掌挫創にとどまり、該骨折部及び挫創部の局所治療により容易に充分全治の見込があり、且つ局所治療も可能であつたことが判明しえたに拘らず、右注意義務を怠り、漫然と診察したため、右症状を誤認し適宜の局所治療の施行に思い至らず、早計にも即時右手首を切断しなければ治療し得ないものと断定し、その所見判断を過つて、原告幸雄の右手首を関節部より切断したものである。
(二) 故意行為
更にその上、被告松井は右自己の過失による切断手術の痕跡を隠蔽するため、訴外医師嘉ノ海武夫に依頼し、同人と共謀の上、翌二一日午後二時頃同人は出勤日でないにも拘らず、わざわざ出勤し、訴外本郷医師や原告ゆり子の不在中をも狙つて虚言を以つて、原告幸雄を同病院外科手術室に連れ出し、何らその必要がないのに故意に、原告幸雄の右前腕を手首関節より第二関節に向かつて約一寸切断する傷害を加えたものである。
六、以上により原告幸雄は、被告松井の過失及び故意の競合した不法行為によつて、右手首を喪失したことが明からであるから、被告松井は、その不法行為につき原告幸雄に対し、損害賠償の義務がある。
七、被告同仁会の責任。
(一) いわゆる使用者責任として。
被告同仁会はその被用者である被告松井の業務執行上なされた右不法行為に対し、民法七一五条の規定により、原告幸雄に対し、損害賠償の義務がある。なお、後記第二の一の被告らの自白の撤回には異議がある。
(二) 仮に被告同仁会に直接民法七一五条にいわゆる使用者責任がないとしても、被告同仁会は昭和三二年七月一日その設立と同時に被告松井の本件事故発生当時の使用者と目される民法上の組合組織である同仁会九条病院から、その負担していた被告松井の不法行為に基く使用者責任としての損害賠償債務をも、引受け承継したものであるから、結局原告幸雄に対し、損害賠償の義務がある。即ち、同仁会九条病院は、訴外林良材、嘉ノ海武夫、堀部鍈之助、堀部泰正がそれぞれ出資をし、共同して医療事業を営むことを目的とした民法上の組合であつたが、昭和三二年七月一日被告同仁会が設立(同日その登記を了した。)した際、右組合同仁会九条病院の人的並びに物的構成(建物、医療器具、什器その他一切)は勿論、患者との間の医療契約関係及びこれに関する一切の債権債務を承継したものであつて、それと同時に組合同仁会九条病院は解散消滅したのである。
八、損害額の範囲。
被告松井の処置が適切であれば、原告幸雄の右手首の受傷は一級建築士としての職務遂行上支障がない程度に全治し、何らの機能障害も発生しなかつたものであり、他方本件事故発生当時、原告幸雄は満四八年で厚生大臣官房統計調査部の第九回生命表によれば、二二年の余命年数を有し居り、且つ一級建築士の資格を有し、大京土木建築工業株式会社で月額三〇、〇〇〇円の給料をうけていたから、爾後少くとも二二年間右同額の収入を得べきものであつたところ、建築士として最も重要な右手首を切断せられ、建築設計等を為し得なくなり、職業的には廃疾者同様となり、少くとも四分の三に相当する労働能力を喪失したものと謂うべきであり、その結果一ヶ月二二、五〇〇円一年計二七〇、〇〇〇円の得べかりし利益を失つたから、これに前記二二年間を乗じた額五、九四〇、〇〇〇円が本件事故により原告幸雄が蒙つた財産的損害であるが、中間利息年五分を控除し、ホフマン式計算法により本件事故発生当時における一時払額に換算すれば、二、八二八、五七一円となる。加うるに、原告幸雄は、本件事故によつて、絶大な精神上の苦痛を蒙つたので、その慰藉料としては、原告幸雄の経歴、妻と六人の子供をもつ家族関係、本件切断手術の部位など諸般の事情を考慮して五〇〇、〇〇〇円が相当である。よつて、原告幸雄に対する損害金及び慰藉料の合計は、三、三二八、五七一円となる。
九、原告ゆり子の慰藉料請求及びその額について。
原告ゆり子は、昭和一四年原告幸雄と結婚し、六人の子供を儲け、同人を一家の柱と頼んでいたところ、前記被告松井の不法行為によつて、妻として精神上甚大な苦痛を受けたので、被告らは、原告ゆり子に対しても、各自慰藉料の支払義務があり、(被告同仁会の負担する責任の根拠については、前記七を援用する。)、その金額は二〇〇、〇〇〇円が相当である。
なお近親者の身体傷害により精神上の苦痛を受けた者は、その者自身直接の被害者であるということができるのみならず、仮に直接の被害者ということができないとしても、民法七一〇条、七一一条を類推適用し、その精神上の損害につき賠償を得せしめるのが相当である。近親者の身体傷害によりその死にまさる精神上の苦痛を受ける場合もあることを考えれば、近親者の身体傷害の場合に、民法七一一条を類推適用するのは相当であり、本件はまさにこれに該当する。
一〇、よつて、原告幸雄は被告らに対し各自前記八記載の三、三二八、五七一円およびこれに対する訴状送達の日の翌日から、原告ゆり子は被告らに対し、各自右九記載の二〇〇、〇〇〇円およびこれに対する同日から、いずれも完済まで民法所定年五分の割合による損害金の支払を求めるため、本訴請求に及ぶ。
第三、被告らの答弁及び主張
一、(一) 原告ら主張事実中、原告幸雄が原告主張の日時、場所で、現場監督の職務に従事中、右手首をモーターのベルトに巻込まれて受傷し、九条病院に来院し、被告松井がその治療に当り、原告幸雄の右手首切断の手術を実施したことは認めるが、その余の事実は争う。なお第二回口頭弁論期日(昭和三三年五月三一日)において同月二八日附準備書面により、原告らの「被告松井が本件事故発生当時、被告同仁会の被用者であつた」旨の主張事実を認めたが、それは真実に反し、錯誤に基いてなしたものであるから、その自白を撤回して、右主張事実を否認する。以下被告松井の経歴並びに同人が原告幸雄に対しなした本件切断手術の経緯を明らかにし、同人に不法行為の責任を負うべきいわれがないことを述べる。
(二) 被告松井の経歴
被告松井は、昭和一六年三月頃京都大学医学部を卒業し、その専攻は内科であつたが、その後機会ある毎にかなり多数の外科患者の治療に当り、自己の専門外とは云え、外科の分野については、相当の知識と経験を有するものである。
(三) 本件切断手術の経緯
被告松井は昭和三二年六月二〇日午後一一時頃急患の原告幸雄を診察したところ、その負傷した右手は軍手をはめた侭になつて居り、右腕関節から先の右手首は皮膚の一部とその他の軟部の一部丈が僅かに右前膊に附着しているでけで、大部分は離断して居り、右手首の骨は粉砕され、軟部はずたずたになつてぶら下つて居り、そのずたずたになつた部分にはコンクリートや砂やその他の汚物が一杯混入していた。更に右胸部の前後面及び上膊にかけて出血を伴う極めて多数の大小さまざまの不規則な挫滅裂創があつた。更に右負傷部位を消毒し、右上膊に止血のため、縛つてあつた布切れを取り外してみると、切断しかかつている右手首の附着している右前膊の部分から多量の動脈出血があつた。被告松井は、原告幸雄の右容態からみて、その手首を即時切断しなければ、止血その他の適切な処置が出来ず、且つ右手首の大部分が離断され、この部分は殆んど完全に挫滅していて回復の見込は皆無であつたので、先づ右手首を切断した後、断端を縫合せ、同時に失血を補給し、且つ患者の苦痛を軽減することが、この際最も緊急適切な処置であり、それ以外にこの患者を救う方法は無いものと判断して、同日の当直医師訴外門野弘子らの協力の下に手術前及び手術中に強い強心剤とともに麻酔剤を四回注射し、右手首を切断しその断端を縫合せ、前記の右胸部前後面および右上膊の挫滅裂創のうち出血の多い五、六〇ヶ所の部分を縫合せその他無数の裂創を処置し、その間輸血二五〇ccブドウ糖強心剤などを注射して失血の補給、シヨツクの予防などを行い、その後の治療は外科掛りに任せたものであり、その間の被告松井の判断並びに処置に過失はない。
二、原告らの第二の五の(一)の(1)の主張に対し。
(一) 原告らは九条病院を以つて、医療法第四条にいわゆる「総合病院」と目しているが、同病院は同法第一条にいわゆる「病院」に過ぎないのであるから、各医師の担当科目を一応定めてあつても、それは病院内部の便宜上の取り定めに過ぎず、前記「総合病院」の診察科目のごとき法的根拠をもつものではない。
(二) (イ) 被告松井の専門は一応内科であるが、およそ医師の場合における「専門」なる用語は、法令上にその根拠を持たないから、法的意義を有しない。かえつて医師法第九条によれば、医師は国家試験により一応医学全般について知識と技能を有するものと認められる。従つて医師は仮に内科専門と呼称しても、法的には他の科目例えば外科の診療に何ら制約を受けないこと多言を要しない。
(ロ) 次に医師の「専門」なる用語が法的を離れ、社会的に用いられる意味は、特定の医師がその持つ知識、技能の中で本人が自ら最も得意とし、優秀と自負する科目を称するのであつて、その専門科目以外の科目について知識、技能を有しないことを意味しない。従つて医師はその専門とする科目以外の科目の診療を得意でないとして、自ら遠慮する自由は一応之を有するが専門外であるとの理由により、何人からもその診療を制限せられるいわれはない。
(ハ) 殊に、被告松井の場合は、内科を専攻し、且つ内科医長の職に在るとは云え、前記経歴に明らかなとおり、外科についても、多年の経験を有し、その内科に関する卓越した学識技能に比しては及ばないとするも、外科に関しても、一般水準を越える充分な臨床上の知識と技能を備えていたのであるから、単に被告松井が専門外の本件外科治療を実施したこと自体を促えて、過失を論ずることは失当である。
三、原告第二の五の(二)の主張に対し。
およそ外科手術においては、必ずしも必要な処置を一挙に全部施行するものではなく、状況に応じ、順を追つて数回に分ちて、実施することは多々あることで、本件の場合も真に一層良き治療上の効果を所期して再手術をしたのであるから、故意の不法行為責任を論ずる余地はない。
四、被告同仁会の責任について。
(一) 使用責任について。
原告幸雄が、被告松井から手術を受けたのは、昭和三二年六月二〇日のことであつて、他方被告同仁会が成立し、その設立登記がなされたのは同年七月一日のことである。従つて、被告松井は、前記同年六月二〇当時被告同仁会の医員ではなく、その間にいわゆる使用者被用者関係は生ぜず、単なる九条病院の医師であつたから、原告の被告同仁会に対する本訴請求は、被告松井の不法行為責任の成否を論ずるまでもなく、既にこの点において失当である。
(二) 組合同仁会の債務承継について。
被告同仁会は、昭和三二年七月一日成立に際し、先に組合同仁会により経営せられて来た九条病院の建物その他の施設、医師、看護婦らの人的組織及び患者をもそのまま引継いだことは認めるが、組合同仁会に関する一切の債権債務を承継し、殊に不法行為による損害賠償債務をも引受けた事実は否認する。即ち、組合同仁会と被告同仁会との関係は法人の吸収合併ではないから、債権債務一切の包括承継はありえないので、両者間に何らかの契約がない限り、被告同仁会の成立に伴い、当然に組合同仁会に属する一切の債権債務が承継されるものではない。
五、仮に被告らに損害賠償責任があるとしても、その損害額を否認する。
(一) 慰藉料の点は暫く措き、不法行為に基づく損害賠償の範囲は、違法な行為と因果関係のある物質的損害に限られるべきであるが、本件において、切断手術をしないで、手首を温存する方法を採つたと仮定すると、本件のごとく、血管及び神経が切断せられ、且つ骨が粉砕されている場合、完全な機能回復の期待が甚だ困難であり、その公算の乏しいことが明らかである以上、切断実施を俟たずして既に物質的損害が発生していることになり、従つて既に発生している右物質的損害迄も、被告らは賠償すべき限りでない。
(二) 原告幸雄の現在収入は、月二四、〇〇〇円ないし四八、〇〇〇円であり、これを平均すれば、月額三六、〇〇〇円となり、本件事故発生前の収入を超えているから、労働能力減少に基く収入の減少という財産的損害は発生していない。
第四、証拠≪省略≫
理由
一、原告幸雄が、昭和三二年六月二〇日午後一〇時二〇分頃京都市南区唐橋河辺町所在京都市営鉄筋アパートの建築現場において、現場監督の職務に従事中、右手首をモーターのベルトに巻き込まれて受傷し、同日午後一一時頃同市同区唐橋羅城門町一〇番地所在九条病院に来院し、同病院内科医長被告松井の診察を受け、その右手首を関節より切断する手術を受けたことは当事者間に争いがない。
二、そこで、被告松井に関し、原告らの主張するような不法行為が存在するか否かにつき、判断するのであるが、その前提として、原告幸雄の負傷状態を診察した被告松井の右容態に対する認識及びそれに基く判断並びに治療処置につきみるに、成立に争いのない乙第三号証≪中略≫を総合すると、
(一) 被告松井は、昭和三一年一一月頃から前記九条病院に内科医長として勤務していたのであるが、同三二年六月二〇日午後一一時頃所用があつて同病院へ行つたところ、冒頭掲記の事故のため、同僚らに運ばれて来た急患原告幸雄の来院を知つた。同病院の同夜の当直医師は、産婦人科医訴外門野弘子であつたが、同人は既に就寝していたので看護婦から被告松井の診察を求められ、同被告が同病院外科手術室で原告幸雄の症状を一見したところ、相当な重傷であることを知つたが、同病院の外科医長訴外本郷医師は同日同病院の院長、副院長らから退職を勧奨されていたことを知つていたので、同人に連絡することを差し控え、自ら原告幸雄を診察した。
(二) その結果、被告松井は、原告幸雄の症状について、「負傷した右手は、軍手をはめたままになつて居り、右腕関節から先の右手首は、皮膚の一部とその他の軟部(骨以外の組織)の一部だけで僅かに右前膊に附着しているだけで、大部分は離断して居り、右手首の骨は粉砕され、軟部はずたずたになつてぶら下つて、殆んど完全に挫滅し、そのずたずたになつた部分には、コンクリートや砂やその他の汚物が一杯に混入し、更に右胸部の前後面及び右上膊にかけて、出血を伴う極めて多数の大小さまざまの不規則な挫滅裂創がある」旨、更に右上膊の止血帯を外したとき、「右離断しかかつている右手首の附着している右前膊の部分から、多量の動脈出血があり、指先まで血行が達しない」と認識したこと。
(三) そこで、被告松井は、右認識にかかる原告幸雄の容態からみて、その右手首を即時切断しなければ、止血その他の適切な処置が出来ず、且つ右手首の大部分が離断しており、この部分は殆んど完全に挫滅しているので、回復の見込は皆無であると考え、先づ右手首を切断した後、断端を縫合せ、同時に失血を補給し、且つ患者の苦痛を軽減することが、この際最も緊急適切な処置であり、それ以外にこの患者を救う方法は無いものと判断を下したこと。
(四) その結果、被告松井は訴外門野弘子医師及び看護婦らの協力の下に、手術前及び手術中に強心剤とともに、四回麻酔剤を注射し、右手首を切断し、その断端を縫合せ、前記の右胸部前後面および右上膊の挫滅裂創のうち、出血の多い五、六ヶ所の部分を縫合せ、その他多数の裂創を処置し、その間輸血二五〇ccブドウ糖強心剤などを注射して失血の補給、シヨツクの予防などを行つたこと。
以上の各事実が認められる。
三、そこで、被告松井が施行した右手首切断手術の経緯に臨み、被告松井の不法行為責任の有無について検討する。
(一) 先づ原告らの第二の五の(一)の(1)の点の過失の主張について。
前顕各証拠に証人沖田礼子≪中略≫尋問の結果を総合すると、被告松井は昭和一六年三月頃京都大学医学部を卒業し、その専攻は内科であつたが、昭和一八年三月頃から約六ヶ月間播磨造船所の附属病院に勤務し、その宿直の際主として外科の患者を取扱つたこと、昭和一九年三月頃から同二〇年一月頃まで日本医療団隠岐病院の院長をしていた頃、及び同二〇年一月頃から同年一一月頃まで軍医として勤務していた頃も、外科患者を扱つたこと、更に昭和二五年一二月頃より同三一年一一月頃まで法務技官をしていた間、多くの外科患者を扱い、同月前記九条病院に内科医長として勤務してからも、四日に一度の宿直時や、訴外本郷医師に支障のある時は、随時外科患者の診察治療に当り、自己の専門外とは云え、外科の分野についても、かなり臨床経験を積んでいたことが認められるけれども、本件全証拠によつても、被告松井が外科専門医に比肩しうる程卓越した知識及び技倆を有していたとまでは認め難く、且つその専門はあく迄内科であるから、いかに自分自身で適切に処置できる自信があり、前記のごとき事情のため、訴外本郷医師に連絡することが躊躇されたにもせよ、原告幸雄の症状が一見極めて重傷で、その生命にもかかわるものであり、他方証人本郷弘之の証言、被告同仁会代表者林良材本人尋問の結果によれば、訴外本郷医師は本件当日は、単に自発的退職の示唆を受けたのみで、未だ退職して居らず、同夜同病院構内の家屋に在宅し、連絡さえあれば容易に原告幸雄の診断に立会えたこと、且つ証人鎌田弘子、同本郷弘之の各証言、及び被告同仁会代表者林良材本人尋問の結果によれば、同病院では夜中に急患が来た時の措置として、軽患であれば宿直の医師がやり、重患は同病院のそれぞれの科長を呼ぶこととされていたことが認められるので、被告松井としては、その際万全を期して外科専門医である訴外本郷医師に連絡し、その指示ないし処置を仰ぐのが順当であつたと思われるのであるが、それだからといつて、本件切断手術自体に注意義務の懈怠があつたかどうかを別にして、内科専門医である被告松井が、外科患者である原告幸雄に対し、自ら診察治療した行為自体を目して、過失があると断ずることは、理由がなく、失当である。この法理は、およそ無資格者が医療行為を行つた場合でもそれが医師法違反として処罰されることはあつても、その行為自体が不法行為にいわゆる過失行為とされるわけではなく、そのなした医療行為に一般医師に要求される注意義務の懈怠があつて始めて、無資格者に対し、その点につき不法行為上の責任を問いうることからも、容易に首肯されるところである。これを要するに、医師が専門外の患者に対し、医療処置をしたとしても、その処置自体が適切であれば、その処置したこと自体について、不法行為責任を論ずる余地はないのである。尤もその場合、当該医師に要求される注意義務の程度は辺鄙な場所で他に専門医がいなかつたり、緊急やむをえない場合など、特段の事情があつた場合は別として、専門医として一般的につくすべき注意義務が基準となると解するのが相当である。従つて、右特段の事情の認められない本件においては、被告松井が、内科専門医であるからといつて、原告幸雄に対し、つくすべき注意義務の程度及びその内容は一般外科専門医に比し、軽減されないことは当然であつて、以下の判断は、すべてそのことを前提とするものである。
(二) 次に、原告らの第二の(五)の(一)の(2)の点の過失の主張について。
(1) 先づ原告らは、原告幸雄の負傷は、比較的軽微な右手首骨折並びに手掌挫創にとどまつていたにもかかわらず、被告松井は医師として原告幸雄の症状を充分仔細に観察検討すべき注意義務を怠つた結果、該症状を前記二、(二)のごとく誤認して本件切断手術をなした旨主張しているので、この点について判断する。
右原告らの主張に副う証拠として、証人機動保之は「手術前消毒する時原告幸雄をちらりと見ましたが、ちぎれそうになつているとは思われませんでしたが、はつきりとは分りませんでした。」旨証人本郷弘之は「原告幸雄の切断された後の右手首を見たところ、関節嚢が破れて骨が飛出し、掌の手首に近い所に挫滅創があつただけで、指は揃つて居り手の甲の部分は完全で、掌の上の方も、原形を留め残つている手首と切り口は合致し、その間砕けてはいなかつた」旨、証人曽我部一郎、同曽我部ゆり子は「切断された手首を見たところ、指は骨折などなく完全であつた」旨各証言し、原告幸雄本人尋問の結果では、同人は「事故当時手がぶらんぶらんしたとは思わなかつた。私は手が生命なのでしつかり握つて見ましたが、完全でした」旨供述しているのである。しかしながら右各証拠を、前顕乙第三、第四号証(第四号証中、特に負傷部位の説明図)、≪中略≫を対比し、弁論の全趣旨と併せ考察すると、前記各証拠中、原告幸雄の右手首の末梢部の手指が揃つていたという部分は信用出来るのであるが、その他の部分はにわかに信用することが出来ず、右信用出来る部分のみでは原告らの主張事実を推認するには充分でなく、他に後段の認定を覆し、原告幸雄の負傷が原告らの主張する程度に止まつて、被告松井がそれを誤認した事実を肯定するに足る的確な証拠がない。(鑑定人水野祥太郎の鑑定の結果によれば経験のある専門家ならば「切断された手」を見て、相当確実に切断前の手の負傷状況を推定できるものであるが、本件では成立に争いのない甲第一一号証により明らかなとおり、原告幸雄の切断された右手首は昭和三三年二月一一日焼却処分に付されて、現存していないため、原告幸雄の症状誤認の点の原告らの立証が極めて困難且つ不充分となつたことは否定し難いところである。)
却つて、
(イ) 被告松井の経歴、並びに同人が原告幸雄を診断した際、主観的にも客観的にも、その外部症状を誤認する虞れがあつたことを窺わしめるに足る事情が、本件証拠上見出し難いこと。(右事情とは、被告松井が、同夜心神共に疲労していたとか、特別な用事などを控えて、多忙の間に診察したとか、又は手術室の照明が不充分で症状に対する仔細な観察が困難であつたとか、負傷部位が外部から一見しただけでは認識困難な場所であつたというような事情を指すわけである。)
(ロ) 各成立に争いのない乙第五…号証≪中略≫では、「原告幸雄の手術前の状態をみたところ、軍手をはめた右手首は挫滅し、わずかに腱、筋肉、皮膚をもつてつながり、外側にぶらんぶらん下つていた。右手の手袋の形状は全くなく、各指、掌面などはぐさぐさであつた。下膊骨と掌のつけ根のところから、下部が完全にくだけ、下膊骨の骨の先端が飛び出し、掌の下部が下膊骨よりぶらんとぶら下つて手首はあたかもないほどくづれていた。掌の骨は全部原形をとどめない位くだけていた。」など述べられていること。
以上の各諸点と前顕乙第三、第四号証、及び被告松井本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、原告幸雄の症状は被告松井が認識した前記二(二)のとおりで、要するに高度の挫滅汚染創のため、右腕関節より末梢部は皮膚を含めて一部の軟部組織で連絡するのみで、右手首の大部分が離断しており、手首の骨は殆んど完全に粉砕され、しかも軟部組織もずたずたに殆んど完全に挫滅していたというもので、(但し前顕証人本郷弘之、同曽我部一郎、同曽我部ゆり子の各証言の一部により、手指は挫滅していなかつたものと認める。)その間に誤認はなかつたものと認めることが出来、以上の認定を左右するに足る証拠はない。
(2) 次に右認定した原告幸雄の症状に対し、被告松井が下した前記二の(三)の判断自体に過失があるかどうか、換言すれば、右のごとき症状に対しては、局所治療のみを実施すべきで、即時の右手首切断手術は避止すべきものであつたかどうかにつき考究する。
およそ医療に従事する者が用いるべき注意義務は医学の法則や取締規定の示すところに従つて一般的=類型的に一応定まつて居り、それは人間の生命や健康を対象とする医療行為の性質上、一般的にはかなり厳格なものであるべきことは多言を要しないところ、本件当時の一般外科医学の一般的水準からみて肢に外傷を受けた患者に対する医療処置として、肢の切断手術を必要とする場合は、鑑定人星野列の鑑定の結果及び証人嘉ノ海武夫の証言により真正に成立したと認められる乙第六号証によると、一旦切断手術が行なわれると最早肢の原形を復させることも、原機能を回復することも不可能であること、現今の義肢学の進歩によつて優秀精巧な義肢が作成されているとは言え、本来の肢の機能を理想的に代行し得るものはないこと、肢の一部でも残存すれば、たとえ変形性治癒であつても、ある程度の機能を果し得ること、最近の化学療法の発達によつて、化膿の抑制が相当程度に可能であること、最近の整形外科学の進歩によつて、外傷肢の機能回復に関する成績が次第に向上して来ていること、平時の外傷(戦傷に非ざる外傷)においてはガス壊疽など早期に切断しなければ生命を危うくするが如き感染の発生は稀であること、肢のたとえ一部たりとも、失うことはそれがやむを得ない場合においても、患者の受ける精神的打撃が大きいことなどから肢の切断手術の適応の場合は、極めて厳格に限定されねばならぬが他方手の再建外科において優秀な成績を挙げているのは限られた少数の整形外科専門医であり、一般外科専門医にとつては治療に困難を感ずる部分野で、本件当時の一般的水準は必ずしも高くなかつたことを前提として、次の各場合、すなわち(一)肢の末梢部が既に壊死に陥つている場合、(二)現在は未だ壊死に陥つていないが、挫滅が高度で、壊死に陥ることが確実であると考えられる場合、(三)末梢部には挫滅はないが中間部の損傷によつて末梢部に対する血流の大部分が杜絶し、末梢部が壊死に陥ることが確実と考えられる場合、(四)肢にガス壊疽が発生しているか、あるいはガス壊疽発生の徴候が認められる場合(五)高度の化膿その他の理由により治癒が甚だしく遅延し、保存的治癒を続けるよりは、切断の上、適当な装具を使用せしめるほうが早期に社会的活動に復帰し得て、患者にとつて、有利であると考えられる場合(六)甚だしい変形性治癒を営んだため、肢としての機能を果し得ず、むしろ切断して装具を使用せしめるほうが作業能力が増大すると考えられる場合であると解するのが相当である。鑑定人水野祥太郎の鑑定の結果にいわゆる切断手術適応の絶対的及び比較的指示条件は鑑定当時(昭和三六年四月二〇日)最近の進歩した専門家の見解であると認められるので、同鑑定の結果を以つては未だ結論を左右するに至らない。してみると、医師としては、肢の外傷患者を診察治療するに際してはなるべく四肢を温存するという方針のもとに治療を行い、前記肢の切断手術が適応する場合に始めて切断手術を実施すべき診療上の注意義務があるというべきである。
右考察したところから、本件の場合を検討すると、
(イ) 既に明白なとおり、原告幸雄の症状には、未ず壊死化或いは化膿化の徴候がなく、且つ末梢部の手指は挫滅していなかつたこと。
(ロ) 鑑定人水野祥太郎の鑑定の結果によれば、切断によらなければ止血できない場合はほとんど存在しないこと。(従つて前記二の(三)中、被告松井が右手首を即時切断しなければ、止血処置が出来ないと判断した点は、到底是認出来ない。)且つ汚損度によつて切断指示が左右されることは殆んどないこと。
以上の諸点に、鑑定人星野列の鑑定の結果の一部を参酌して考えると、本件において、被告松井としては、肢外傷の治療に当つて切断はなるべく避けるべきものであるとの原則に従つて或いは一応救急処置として創傷の止血洗滌、患部の固定を試み、その後の経過をみて、関係者を充分納得せしめてから、切断を行つた方が、より適切な処置であつたかもしれないと臆測する余地の存することは、否定し難いが、原告幸雄の受傷した右手首の症状が先に認定したとおり「高度の挫滅汚染創のため、右腕関節より末梢部は皮膚を含めて一部の軟部組織で連絡するのみで、右手首の大部分が離断しており、手首の骨は殆んど完全に粉砕され、しかも軟部組織もずたずたに殆んど完全に挫滅していた」ものである以上、鑑定人星野列、同本庄一夫の各鑑定の結果によると右手首の主要な血管の全てあるいは大部分、および手首の主要神経の全てあるいは大部分が離断されている可能性及び土砂やコンクリートの混入による高度の化膿を惹起する可能性が高く、その結果右手首並びに手が広範囲に壊死ないし機能喪失に陥る可能性が殆んど決定的な場合であると推測され、その場合医師として受傷直後に切断手術をすることもありうるのであつて、要するに、本件は前記肢切断手術適応の場合の(二)及び(三)に該当する場合であるから、被告松井が前記二の(三)中、右手首の大部分が離断して居り、この部分は殆んど完全に挫滅しているので、回復の見込は皆無であり、直ちに右手首切断手術をすることが適切であると判断し、それを実施したことを以つて必ずしも前記医師の医療上の注意義務の懈怠に基く不適当な判断乃至処置であるとは断じ難いのである。以上の判断と相反する鑑定人水野祥太郎の鑑定の結果及び証人本郷弘之の証言は採用し難く、他に、被告松井の前記判断に過失があつたことを肯定するに足る証拠はない。
(三) 次に原告の第二の(五)の(二)の故意の点の主張について。
右原告ら主張事実は之を認めるに足る的確な証拠がなく、かえつて前顕乙第六号証に証人鎌田弘子、同沖田礼子、同嘉ノ海武夫の各証言並びに被告松井本人尋問の結果を総合すると、被告松井は昭和三二年六月二〇日午後一一時頃から翌二一日午時二時過頃まで原告幸雄の右手首切断手術をした後、本来ならば外科医長訴外本郷医師に爾後の処置を依頼して引き継ぎすべきところ、前記退職勧告の一件があつたので、これを差し控え翌二一日午前一一時頃同病院副院長で外科専門医である訴外嘉ノ海武夫医師に連絡し、同人に再診を乞うたところ、同人は当日は出勤日(毎週木曜日)ではなかつたけれども、とくに出勤し、原告幸雄を診察した結果、切断された右手首の骨端が中から少し突張り気味なので、将来義手装用に不便を来すと考え、局所麻酔のもとに骨端を約一、二糎削つて皮膚を再縫合したことが認められ、右認定を覆えすに足る証拠はない。そして右認定事実によれば、訴外嘉ノ海武夫医師が被告松井の依頼を受けて、原告幸雄に対し、再手術を実施したのは、被告松井のなした手術の結果を将来の義手装用に不都合なことのないように、より良く補完したものというべきであつて、そのこと自体を促えて不法行為責任を問題とする余地はない。
四、結論
以上説示した通り、被告松井に対し、その実施した切断手術について、不法行為上の責任を問う原告幸雄の主張事実は、これを認めるに足る的確な証拠がないから、爾余の点に対する判断を省略して、被告松井に対する請求を棄却すべく、更に原告幸雄の被告同仁会に対する請求並びに原告ゆり子の被告らに対する各請求は、被告松井に不法行為責任が認められることが前提であるところ、その責任が認められない以上、当然失当であるから、いずれもこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条九三条を各適用し、主文の通り判決する。
(裁判長裁判官 入江菊之助 裁判官 木村幸男 裁判官 本吉麗子)